2022.12.31 Saturday
2022.11.28 Monday
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自分が明るい人間ではないことを思い出して。
数年かけてワイワイするのが好きで無鉄砲で無秩序で下品な自分を作って肯定してきたけれど、それはたしかに過去の自分が知らなかった自分の大事な一面ではあるけれど、だからって中高生の時に何一つ上手くいかなくて泣きそうになりながら生きていたことや、上手く生きている人を妬んで羨んだことはなくならないんですよね。その暗いドロドロしたものも自分。
はしゃぎ疲れて自分はこうって自分で縛られてしまってボロボロになっていたことに気づいて、そういうのを意識的にやめました。
なんだかとても楽になって、そうすると今度は鎧がなくなって生身すぎて自分の暗さにビックリする。別にずっと、暗いって言うのは言われてたじゃん。でも自認するとネガティブな考えはどんどん加速するし、妬み嫉みは膨れ上がる。自分が理想に近づけてると思い込めてたから誇れる部分があったけど、それがまぼろしだったと気づいたから止められない。そういう時、人を頼ったってダメ。周りの人間がいい人だから、それと自分を比べて自分の矮小さと意気地のなさと思いやりのなさと優しくなさで吐きそうになる。むしろ、それが一番自分を傷つけてる部分。
人が人に向ける思いやりを見て、具体的なやり方を真似て優しいねって言われることに喜びを見出したりしていたけど、自分発信でそういうことができない。人が人に向ける優しさを見て驚いて感動したりする。知らないことを知る感覚。思いやりを人に向けるチャンスがあった時にああ自分は至らないなあって思う。そもそも、そういうタイミングを人によく思われるチャンスと捉えているのが下劣だよね。
わがままでいっぱいいっぱいだ。こんなのが大人かよ。
2022.08.08 Monday
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2021.10.14 Thursday
211014 イタい奴
お笑い芸人のニューヨークが好きで、一時期食い入るようにYouTubeを見ていた。まだ嶋佐の髪が黒くて、今みたいにテレビで毎日見るようなコンビじゃなかった頃で、世間もまだノーマスクで、喫煙所や公園で人を笑わしたり、相席屋で女の子を口説く企画をしたりしていた。テレビで忙しくなってきた今と比べて、YouTubeの企画自体が面白かった時期だと思い返したりもできるけど、今はそういう話ではなく。
この頃、公式チャンネルで上がっているネタの動画もよく見ていた。偏見そのままに斜に構えたあの毒っ気たっぷりなネタは、僕にも当然刺さった。人を小馬鹿にしたキャラクターややりとりが、衝撃的というよりは安心できて、自分の性格の悪い部分を踊らせた。ホワイトボードの前に立って話すような動画や、先程挙げたような企画でも、そういう良くない気持ちが刺激されるシーンが多々あった。屋敷の意地の悪い着眼点をエンタメに昇華する気持ちいいテンポと、嶋佐の抜けた感じとネタ中の芸達者さとのギャップの虜だった。
ニューヨークのコントでは、イタい奴がよく出てくる。みんなイタい奴を毒々しく刺激して安全圏から笑うのが楽しくなる。僕にももちろんそういう性質が多分にあって、飲み会ではイタい奴をよく槍玉にあげている。
ここからが本題。
僕は本当にイタい奴を敏感に感じ取りながら生活している。イタい奴を笑ったり、イタい奴になったり、自分の話題の深めの部分にこのイタい奴っていうのが居ると思う。ここに問題を感じている。
イタい奴になるのはいい。道化を演じるとコミュニケーションはとても簡単になるから。ただ、イタい奴を笑うことで問題が起こっている。別に誰かを傷つけるからとか、自分が悪く映るとか、そういう話だけではない。これイタくないかな?で行動までのテンポが遅れる。それに、いいとは言ったもののイタい奴を演じるのも考えもので、イタさに自覚的なのが周りに伝わっているだけに、本当にイタくなってないかを考えて及び腰になる。とにかく、予防線を張らないと動けなくなる。思い立ったらすぐ行動したいという気持ちに歯止めがかかってしまう。せっかくいくらか大胆でテキトーに振る舞えるようになってきたのにもったいない、と思ってこんな内容の日記。まとめもせずおわり。
2021.10.06 Wednesday
211006 弱体化したこと
それなりに外交的な性格をしていると思う。小さい頃から戯けて見せることが多かったし、人と遊ぶハードルも低かった。それが中学に入って人に話しかけられなくなったこと、不良の多いクラスに当たってちゃんと萎縮してしまったこと、人と違うのがかっこいいという感覚をしっかりと研ぎ澄ましてしまったこと、さまざまな要因から、僕自身そのことを見失って久しかった。
それを思い出したのが5年前くらいか。はっきりとは覚えていないけど、大体その辺りになると思う。その時っていうのは人伝にグループへ招待してもらい、輪の中でちゃんと面白さを共有することができた。その後も程よい温度感で距離を詰めつつ、昔からの友達のように何度も遊んで、あっという間に馴染むことができた。
その後1年間大阪へ行った時も、更に福岡へ戻ってからも、なんとなく人と気軽に話して、なんとなく仲良くなれるようになっていた。特段仲良しってわけでもないけど、たまに遊んだりできる仲の相手が結構増えた。
そんなこんなで今が人生で一番外交的なので、コロナ禍でなければもっといろんなことができたのに!と思う。今が落ち着いたら取り戻すように動き回りたいけど、恥ずかしいおじさんにだけはならないようにしたい。
さて、それはそれとしてもう一つ思うことが、最近 あの時こうしていれば とか あの頃こう振る舞えれば とかそういうことをよく考えてしまう。元々僕はたらればの話があまり好きではなかったので、こんなことばかり言っていることがひどく恥ずかしい。前は違った。変えたい過去も望む未来も特にない、今が充実していればよくて、その充実は自分の中にあると思えていた。人付き合いが好きでたまらない自覚を持った時から望む未来が出てきて、今を充実させるために他人が必要になってしまった。そう思うと、過去に反省点が湧いて出てくる。省みてしまう。今の自分で臨みたい。そんなことばかり思ってしまう。
どんなふうに立ち戻りたくなっているかというとふたつ。ひとつは無料で出会いに溢れていた学生生活に戻りたいってこと。もうひとつは昔の恋人とこうすれば良かったって後悔を潰したいってこと。
長くなったけど素直に簡単に端的に。あー、彼女欲しい。